KUALIS

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December 07, 2012

Builder's life 1


I think I will start to write about my builder's life (in Japan and in US) for the past 10 years. About how I started, what I have seen, learned, thoughts, experiences,,,. As much as possible, honestly. Today is the first story. *I will basically write in Japanese about this series of posts because it will be long. Maybe I will put sammaries in English, sometimes...

フレームつくりの仕事を始めて丸10年になるのを機会に、自分がこの仕事を始めたときまでさかのぼってこれまでの軌跡を、記憶を辿りながら時折書いていきたいと思う。時には人に伝えるには恥ずかしい内容も中にはあるが、全て実際に体験してきた事、その時その時思ったこと、考えていた事などを書いていきたい。この目的は、自分がやってきた事の整理、確認、そして自分について、自転車のフレームつくりについてなどをもう少し突っ込んで知ってもらうことである。今日はその第1回目、Builder's life 1 である。

Builder's life 1. 松田自転車工場(Level)入社

今から13年ほど前にさかのぼる。まだ建築設計の仕事をしていた頃、東京都荒川区に6畳と4畳半の二部屋付きの平屋一軒を大学時代の友人と事務所として借りはじめた。すなわち友人と共同設立という形で独立したわけである。その頃は建築関係の仕事はどん底で、仕事に苦しんでいた。(荒川区の都市区画整理のための家屋調査の仕事や住宅設計の仕事。)

暇なときは建築設計コンペやデザインコンペティションなどに応募したり、勝手に親戚の住宅建替えを計画し、図面製作や、詳細模型を作ったりしていた。(中にはそれを持って実際に話をしに行ったこともある。)終いには、交代で営業しようということになり簡単なパンフレットを何百枚か作りそれらをもって東京23区内の店舗などを片っ端から廻ったこともあった。
当然そんなに簡単に仕事をゲットできるはずはない。分かってはいたがやらずにはいられないという状況だった。
それでも国内のデザインコンペ、国際建築デザインコンペに2度ほど入選したりもした事もあって、それなりに僅かながらの希望も持っていたと思う。
何より設計、そして何か作りたいという気持ちは漠然とあった。それが建築なのかどうかははっきりしていなかった、のかもしれない。
そんなこんなで悶々とした時期が2年ちょっとつづいた。

今から思い返すとどうしてだか理由はわからない。確か桜が咲き始めた、春先の頃だったかと思う。そんな悶々としていた自分の頭のなかに1台のマウンテンバイクが頭に浮かんだ。本当に何故だか分からない。事実そのころの自分といえば自転車には全く興味もなかったし、実際大型バイクに乗っていたので乗り物といえばバイク(オートバイ)しか眼中になかった。
が、なぜかマウンテンバイクが頭の中に。。。
恐らく、当時の自分の頭の中には、何か、、、設計が出来てかつ自分でも作れそうなものはないかといつも考えていたのかもしれない。(それが1台のマウンテンバイクにつながったのかもしれない。)その考えは1台の漠然としたマウンテンバイクを通してさらにイメージは増大し、最終的にはそれ(自転車)を設計、製作するような仕事はないのだろうかというところまで考えが至った。当然そんな仕事があるのかどうかも当時の自分には知る由もなかった。

そのまましばらく自転車が頭の中にくっついたままの状態が続いた。そして、とりあえずマウンテンバイクというもの(?)に乗ってみようかと思い、かみさん共々2台購入することとなった。当時自分が購入したのはScott の何とかエリートというアルミフレームのXCバイクだった。
今から思い返せば、なんて事もないバイクだが、当時の自分にとってはこれがいわゆる ”スポーツバイク” かと少しながらも感動していたと思う。自転車カスタム本など読み漁り、チョコチョコとカスタムしたりもした。
それと平行して、”自転車つくり”なんて事をしている会社はないものかと色々調べ始めた。
そんな中、事務所がある同じ荒川区に松田自転車工場(Level)というその名の通り、自転車を作っている会社を見つけた。確か、日本のハンドメイドショーか何かの記事で見つけたのだと思う。
見つけた瞬間からその後の行動は速かった。早速、自転車つくりをしたいという旨の手紙を綴り、郵送し、1週間程後に電話をした。その電話で是非面接をしたいと逆に言われたのを覚えている。

そして、面接当日。当然のように自転車で松田自転車工場まで向かった。
地図上では住所が京成ラインが走っている線上と重なっておりよく理解できなかったのだが、実際訪れてその意味が理解できた。まさに京成ラインのガード下にLevel はあり、一般用自転車店も工場の隣に併設されていた。
面接では、自転車のフレームつくりとはどんなものか、どういったものを作っているか、どのくらいの精度が求められるものなのかなどなど話を伺い、工場内を案内してもらい、実際の扱っているスティールのチューブや作りかけのフレーム、道具や冶具などを見ているうちに一気に興味が沸いてきたのを今でも覚えている。 
そんなこんなで、その日のうちに就職が決まってしまった。そしてついに自転車のフレームつくりの世界へ入る日が訪れた。

入社第一日目である。年齢は30歳になっていた。

(続く)

1 comment:

  1. はじめまして。
    いつも興味深く読ませてもらってます。
    私もアメリカでビルダーになりたいという夢があり、とくに今回のシリーズを楽しみにしております。すでに30代後半、まったく畑違いの仕事をしており、英語も話せませんが…

    Kaz

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