KUALIS

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January 27, 2015

Builder's Life 11 / Builder's Life




Builder's Life 12. / Builder's Life.

トータルで7年間お世話になったSeven を2014年6月いっぱいで終了することとなった。(すでに去年のことではあるが。。。)
KUALIS CYCLES は既に2012年の夏ごろから、Seven の仕事の後自分の工房でフレームつくりという形で実質スタートしていた。

Seven に来てから終了する日まで自転車つくり1色で突っ走ってきたように思う。
様々なことに興味が向けられるほど起用な性格ではない自分にとってはそれが自然だったし、その分人一倍積み重ねてこれたと思う。作ってきたフレームの数も3500本ほどになる。これが多いのか少ないのかは実感として良く分からないが、とにかく実に充実した7年間をSeven で働く事ができた。

一から学ぼうと、日本で全くの初心者からこの仕事をはじめて以来約12年(2015年現在)、犠牲にするものも多かったがその分、より得られるものも多かった。何事も決めたら突っ走らないと、ある意味気がすまないところがある自分にとっては十分濃い12年間であったと思う。
それらの経験をベースにこれからは(既に始まっているが)KUALIS CYCLES で自分の持てるもの全てを発揮していきたい。

ただただ突っ走ってきた今までとは異なり、常に心に少しの余裕を持ちつつ柔軟に仕事をしていきたい。
悩みや不安などは今までもこれからも尽きる事は無いが、しかしながら何よりも、これからは全てが KUALIS のカスタマーのためのフレームつくりが出来るということを考えると純粋に嬉しく、わくわくした気持ちになる。この気持ちを維持しつつKUALIS CYCLES をさらに充実させていきたい。

これからが本当に色々な意味でのBuilder's Life となるのだろうか。

おわり。

December 10, 2014

Builder's life 10

Builder's life 10/ マテリアル/ チタン編

今回と次回の2回にわたってSeven で使用されているチタンとスティールのチュービングについてポストする。今回はSeven のチタンチューブ、そしてその他のチタンチューブについて書いてみる。


Seven のチタンバイクモデルのフレームには大きく分けて2種類ある。すなわちストレートゲージ(厚さが均一なチューブ)で作られるフレームとバテッド加工(厚さが変化しているチューブ)されたチューブで作られるフレームである。
Seven ではアウトバテッド加工(チューブの外側を削って薄くする方法)を自社工場内で行っている。メインチューブに使用されるチューブをシングルバテッド、ダブルバテッドに加工される。
バテッド加工をあくまで前提としているのでSeven が購入している元のチューブの厚さはそれなりに厚い。

バテッド加工された後の具体的な厚さについてもここでは記載しないが、基本的に1サイズのチューブに対していうと2,3種類ほどである。これ以上に厚さを自由に作ることは可能であるが、実際的にはそれはあまり意味がない。理由としてはマテリアル自体が持つ密度と強度、それらに関係する係数から考えればすぐに理解できることなのだが、たとえばスティールで外径が同じ2本のチューブで厚さが0.1㎜ 変化すると重量、剛性、強度が大きく変わってくる。当然乗った印象も異なってくる。
しかしチタンでは0.1㎜程度の違いではさほど大きな違いはない。おおざっぱにいえばその倍の0.2㎜以上の変化をつけてやらなければ乗った感じとしての違いがそんなにでてこない。したがってチタンチューブの厚さ、強度の限界などを考えるとバテッド加工による使用されるチュービングの幅はそれなりに限られてはくる。限られてはくるが、カスタムフレームにとっては非常に重要であり、厚さ調整も含めて意味のあるバテッドチューブを作るには、多くのチタンフレーム製作の経験が必要となる。



これらメインで使用されるチタンチューブは基本的にはUS メイドのものを使用している。
自分がSeven に入ったころは使用される全てのチタンチューブがUS メイドのものであったが、新たな規格やサイズ の出現などフレーム製作自体の多様化が進んでいること、そしてそれらに対応すると同時にコスト削減による利益拡大という目的も相まって、最近ではスタンダードサイズのBB とオリジナル44 ㎜ HT に使用されるチタンチューブに関しては中国産のものにかわった。

Seven ではBB のスレッドはCNC マシーンで溶接後に切られる。そのため使用されるチューブは厚い無垢のものを使用している。

つづく。。。

November 29, 2014

Builder's life 9

Builder's life 9/ ペイントプロセスインプルーブメント

前回の予告の通りペイントデパートメントでの経験についてポストする。今回で、プロセスインプルーブメント、問題解決に関してのポストは一応終了となる。(次回からは少し突っ込んだ実際の使用マテリアル、設計手法などをふくめたフレーム製作の話に移ることにする。)

溶接を始めてからちょうど3年ほどがたち、溶接クオリティーもスピードも格段に上がり週間ノルマの達成本数もトップになるまでに至っていた。そんなころに、同時にこれまでに自分がトライしたインプルーブメントやマネージメントの仕事が評価を得て、次なるリスポンシビリティーを言い渡されることとなった。
当時Seven のプロダクションの中で最もオーガナイズされていなかったのがペイントデパートメントであった。フレームペイントにかかる所要時間、プロセス、そしてその中で生じていた問題などすべてを含めた”スタンダード”が実に曖昧な状態で機能していた。
このペイントディビジョンをオーガナイズし直すということ、それが自分がやるべきことであった。

自分自身はペイントの経験などなかったので、オーガナイズなどいきなり出来るわけなどないと思い、そこでまず現状で行われているペイントについて一から十まで学ぶことから始めた。要するにまずぺインターになってみなければ始まらないと考えたわけである。

*下の写真は当時のリードぺインターだったBen。彼からカーボン、メタル共にペイントの一部始終を教わった。

教わりながら少しづつ実際にペイントを始めるようになり、だんだん慣れてくると同時にプロセスごとの意味や、何が必要で、何が不必要なのか、どうすればもっとやりやすくなるのか、ミステイクを減らせるか、またペイント用テンプレート(指示書)のつくり方、さらにはペイント全体の工程を通しての人の導線なども含めてじっくり検証してみた。
それと並行して、彼(Ben)がペイントを開始するところから終了するところまでの移動時間も含めた行動すべての詳細なリストを作り、タイムを計るなどしてかなり徹底的に現状をつきつめて分析もしてみた。
詳細な作業リストについては例えば、これからペイントするフレームをラックからとり、スタンドにセッティングするまでの行動の内容を分解してさらに細かい作業リストを作るなどである。
そこまでやらなければ今まで改善できなかったものが何なのかは、やはり見えてこないのではないかと考えた末のことである。

色々考え、分析していく中で特に大きな問題だったのは、マスキング作業の環境の悪さがあった。最も重要なマスキング作業がブースの中で行われず外でされていた。しかもすぐ隣でフレームの仕上げ作業が行われているというダスティーな環境で。。。実際そのダストが原因でやり直し作業がかなりの頻度で起こっていた。しかも当時Seven では定期的な清掃というものを何年もしていないような状態であったからその悪影響はさらに大きかった。(*このプロセスインプルーブメントを機にペイントブースだけでなくそれぞれのデパートメントで週一回の清掃をすることを提案した。現在もそれは実行されている。整理整頓はトヨタプロダクションシステムの7つある必須項目の一つでもある。)

当時マスキングのために設けられるブースはなかった。かわりにすぐ近くにインスペクションルームがあった。しかし、インスペクションには頭上に明るいライトがあれば良いことでわざわざ部屋を設ける必要はないと判断し、このブースをマスキングのために使用する案を今回のインプルーブメントの内容に盛り込んだ。 

*写真は最終的にマスキングのために使用されることとなったブース内の写真(中にいるのはBen 。懐かしい。。。笑)


そんな感じで何か月間か、溶接と並行してペイントをしながらレポートにまとめた。(プロセスインプルーブメントだけでなくペイントのヘルプもさせられていたかな、結局。。。)

以下の写真はレポートの一部。詳細に分類した作業項目、それらの作業内容、スタンダートとなるタイム、以前との変更点と改善点、また結果的に以前よりどのくらい(%) よくなるのかなどを詳細にまとめた。その後実行されることとなる。(*現在はペイントプロセス自体の変更に伴い、当時とは多少異なっている。)




結果的に約2年ほど溶接とペイントというかたちでペイントもすることとなった。

こうしたプロセスの改善はSeven の規模の会社になってくると必要不可欠になる。
生産ラインのスムーズ化、すなわちいろいろなところでのスタンダード化は絶対に不可欠になることもよく理解できる。しかし一方で、その流れに乗らないカスタマーからのオプション的な要求やそのための作業が発生した時にはこの規模の会社のウィークポイントがあらわになってしまうことも同時に理解できた。
また、これらの仕事の経験を機にこの後何年かSeven で仕事をしていくうちに、ハンドメイドによる自転車のフレーム制作という特殊な世界ではさらにこの上にもっと大切なことがあるのではないかと、考えるようになっていくのだが、それはまだその当時は自身の中ではそんなに大きくはならなかった。とにかく目の前の仕事をめいいっぱいこなすこと、様々なことを誰よりも多く吸収することに気持ちが向いていたためである。


つづく。。。

November 25, 2014

Builder's life 8

Builder's Life 8/ プロセスインプルーブメント2

Seven のプロダクションプロセスの改善とリペアフレームのマネージメントについては前回ポストしたが今日は、それらよりさかのぼること2年ほど前に行ったプロダクトの問題にかかわった時の経験である。

その中でステムに生じた問題について少し書いてみる。ステムを溶接する際に仮つけをするとかならずと言っていいほどステムのクランプ(ハンドル側とフォーク側)にねじれが生じていた。溶接する前のアライメントチェックでそれはすでに起こっていた。ヘッドウェルダーのティムはなぜいつもねじれているのか疑問に思っていたようではあったが、他のウェルダーたちは特に気にすることなく溶接をし溶接後にねじれを強制していた。
自分がステム溶接を始めたときにはすでに何年もその状態で行っていたようだった。

そこで、まずステムをザグり加工するための冶具を調べてみようと試みた。
一見するとなんの問題もないようではあったし、実際ベテランマシーニスト(8年目)に聞いてもみたがやはり問題ないという返事がかえってきた。しかし問題の原因はこの機械加工の段階でおこっているとしか考えられなかったので、誰もいない時を見計らってその冶具と加工プロセスを徹底的に分析してみた。

その結果、原因とみられる点が見つかった。以下の写真はそれを含めたその時のレポートの一部である。あまり詳細にすべてのレポートは見せられないのであくまで一部にとどめておく。


その問題部分というのはわかってしまえば何でもないことですぐに修正できたのだが、もっと大きな問題はなぜ誰も、しかも何年も原因を突き止められなかったのかということである。これには前回のポストの内容が大きくからんでくる。確かに自分がマシーニストをしていた時には気づかなかった。なぜならそれ以外の仕事はまだ未体験だったからである。

ステムに限らず、フレームのほうでも角度があっていなかったり、ねじれた状態でザグり加工されていたり、ギャップが許容値外だったりと問題はあった。これらがいわゆる加工ミスによるものであればさほど問題ではないかもしれないのだが、そうではないため何とかしたいという状況ではあった。 そちらのほうも原因を突き止めるために徹底的に調べてみた。

問題の原因となっていたものの一つにフレーム冶具があった。Seven で使用されているフレーム冶具はすでに10年が経ち、大したメンテナンスなしで酷使され続けていた。各部はすり減って、劣化が激しい状態であった。そういった内容も含め、レポートにまとめて提出した。



その後いくつかは改善され、フレーム冶具もメンテナンスがほどこされた。

Seven でのこういったプロダクションシステム、プロセス改善についてかかわれたこと、それに伴って自分でもある程度研究できたことは、今後の自分のハンドビルドのフレーム製作スタイルを考えるための良い機会となったことは確かであり、また経験させてもらったことに今となっては感謝している。おかげでSeven のプロダクションに関してはほぼ隅々まで知ることもできた。

プロセスインプルーブメントに関するSeven での体験はその何年か後のペイントデパートメントで終了することとなる。それは次回。

つづく。。。

November 20, 2014

Builder's life 7

Builder's life 7/ process improvement

溶接三昧の日々が続いて、かれこれ3年ほどたったある日のこと。
マネジャーからいくつかのリスポンシビリティーを言い渡された。

その中にリペアフレームのマネージメントと生産工程の改善(プロセスの面とプロダクツの面の両方)があった。今日はその2点についての自分の体験である。

なぜ自分にその責任がきたかといえば、Sevenでの生産プロセスを一通り経験して知っているのが自分だけだったことが理由の一つである。マネジャー自身もマシーニングと仕上げの経験はあるが溶接はよく知らない。突っ込んだ見解には限界があるというのもあったのかもしれない。

まずリペアフレームに関してであるが、Seven では年間1500台前後フレーム生産している。そうすると戻り(不具合や再仕上など)のフレームもそれなりにあった。実質、リペアフレーム用のラックが0になることはまれなくらいであった。
要するに自分の責任は、そのリペアフレームが入ってきてから期日内にシッピングするまでをマネージしろということであった。

最初はあまり気が進まなかったが、しかし考えてみればSeven のフレームの実際的な場面での改良すべき点が詳細に見れるのではないかと思い、逆にやる気で引き受けた。
当時、リペアフレームで一番多かったのはMTB のダウンチューブとヘッドチューブ の間に溶接されたガセットとダウンチューブとの溶接部分にクラックが入ったものであった。フレームが適度にしなろうとしているのに対し、剛性を上げようとガセットをHT とDT の間にかませるため使用し続けて無理が生じ最終的にクラックが入るといった具合である。(*現在はガセットの使用はしていない)
リペア方法としてはDT とHT をカットし、リプレイスするという具合である。
その他、カーボンとチタン混合のフレームの接着不良や使用年数が原因で劣化による不具合、錆びによる劣化や穴が開く(スティール)、クラッシュ、製作ミスによるカスタマーからのクレームなどなどであった。

こういった不具合のあるフレームをそれぞれインスペクションし、原因を突きとめ、どう対処するか、リペアにかかる所要時間はどのくらいか、また通常の新規フレーム製作の流れの中でどのタイミングでリペア作業を行うか、そしてそれらの指示書を作成し、いつ誰に指示を出してリペア作業をやってもらうかなど、シッピング期日から逆算して計画をたてマネージメントに臨んだ。 時には計画通りにいかない場合も当然あった。そんな場合は自分でそのすべての工程をこなしていた。もちろんこのマネージメントは普段の溶接ノルマを消化しながらである。最終的に約1年近く続けた。

しかしながらこの経験は非常に自分にとって良かったと思っている。まわりの人たちはあまり気を留めないことだったが、実際のリペアフレームを通してチタンとスティールの素材でフレームを作る場合の限界線や、やってはいけないこと細心の注意を払わなければならないことなどを個人的に学ぶことができた。ここでの経験は今の自分のフレームつくりにも役立っている。

次に生産プロセスの改善についてだが、Seven はトヨタ生産方式をベースに生産プロセスをビルドしていた。個人的に生産プロセスについてはトヨタ生産方式をはじめいろいろと研究していたのでSeven のそういった生産プロセスに関するフィロソフィーもすぐに理解できたのも事実である。

そういったものと実際の現場を通してそれらがどのように機能しているのかを観察しながら、具体的な改善方法やその可能性についてなど考える日が続いた。
しばらくSeven の生産方式と実際のワーカー達の働き方を観察していると、少しづつ問題点など見えるようになってきた。
例えばその一つに、ミステイクの発生の仕方とその度合いである。そしてその原因について考えてみるとよりはっきりと浮かび上がってきた。
例えばトヨタプロダクションシステムの根本理念の一つは、それぞれ異なるデパートメントで仕事をしているワーカー同士が協力し合い、時にはクロスセクションでも機能できるという働き方にある。お互いの仕事を理解することで、協力的な仕事ができるだけでなくミステイクも最小限におさえることができる。しかしSeven ではそれぞれで分業はしているがお互いがクロスすることはなく完全縦割り(この部分はアメリカ式)分業方式であった。隣で行っている仕事についてはよく知らないといった具合である。だから例えば最初のほうで一度ミステイクが起きてしまうと最後まで誰も気づかないでプロダクツが流れてしまう。仮に最後に気づいた場合、ヘビーなやり直し(一から)になってしまう。。。

こういったことを改善するための手段やワーカーの働き方、チームワークについて、また新しいワーカーが入った際のトレーニング内容の範囲についてなどを最終的にレポートとしてまとめて提出した。

以下の写真はレポートの一部


これらの発案が受け入れられるかどうかは分からなかった。しかしその約半年後、発案のいくつかが実際に機能し始めた。
このリペアフレームのマネージメントとプロセス改善の責任を機にさらにいくつかのプロセス改善や問題解決の仕事が追加されることになるのだが、それらに関しては、、、次回。

つづく。。。



November 17, 2014

Builder's life 6




Builder's life 6/ ウェルダーになる。

真面目な(この辺が日本人の得意な点やね。絶対お前らには負けへんで、的な。。。笑)練習の成果もあって、マシーニングをしながら仮つけを始め、ステムの溶接へと順調に進んでいった。
順調に、、、と書いたが失敗もあった。仮つけを始めて間もないころ、カーボン/ チタン混合フレームの仮つけで、シートラグがずれた状態でつけてしまい他のウェルダーが気づかずそのまま溶接してしまった(そのウェルダーに、溶接する前に確認せえよ!と言いたいところだが、もとは自分がずれてつけてしまったので何とも言えない。)とか、ガスの流し忘れでチューブを駄目にしてしまったり。。。とそれなりに失敗はあった。

そしていよいよ、1本目のフレームの溶接を開始!という際、あんなに練習していたはずがなぜか手がブルッた。。。理由は単純で、今目の前にあるのはリアルなフレームで$3500である。このフレームのオーナーになる人がそれだけの大金を払っているわけである。しかも自分がそれを溶接すると考えてしまうと、、、ブルッてしまった。。。
チューブのザグりをしていた時と”責任”という重圧度がまるで違った。
結局その1本のフレーム(ロード)を溶接するのに1日半かかった。その後も1ヶ月くらいはそんな感じでやたら時間がかかった。練習の時ととる姿勢などがまるで異なるのも時間がかかる理由の一つだったが、何よりSeven のウェルダーとしての責任の重圧度がきつかった。
(実際、Seven で最も価値の高いポジションでもある。自分がウェルダーをしていた約7年の間に何人もの溶接経験者がそのポジションを得ようと試験を受けに来たが、新しいウェルダーを迎えることはなかった。辞める半年ほど前には元ご近所さんの某有名ハンドメイドブランドの現役ウェルダーも試験を受けにきていたが、その後再びSeven のウェルダーブースで会うことはなかった。)

そんなこんなで重圧と格闘し、冷や汗流しながらも(笑)Seven の溶接クオリティー基準を何とかクリアしながらひたすらに溶接する日々がしばらくつづいた。

少し溶接に慣れてきたそんなある日、ショッキングな出来事が起こった。あるカスタマーが自分が溶接したフレームを気に入らないと突き返してきたのだった。さすがにショックだったのでヘッドウェルダーのTim に相談し、しばらくフレームの溶接をストップしてステム溶接をしていたほうがよいのではないかと訪ねたのだが、、、彼曰く、”いや、続けるほうがいい、今ストップしてステムに移行することは、それは後退することになる。どんどん前へ進めたほうがいいよ、君は絶対いいウェルダーになれる。”と、想像していた返答と真逆でちょっと面食らったがさらに進める意欲をもらった。
(*このTim とは練習のときから辞めるまでのあいだ本当によく溶接を通して話や相談をしてきた。自分がSeven を離れると話した時は、少し目を潤ませて ”それを聞いて残念で悲しいよ、君が適任だったのに。” と言ってくれた時には自分もすごくうれしかった。)

そんな溶接三昧の日々がとりあえず3年ほど続くことになる。と、そんなある日、マネジャーから新たな仕事を追加されることとなる。

つづく。。。


November 14, 2014

Builder's life 5


Photo by Jon Henig, 9/2007

Builder's life 5. Start to work at Seven.

しばらく放置していたBuilder's life の話の続きを再開する。すべては自身が体験した事、事実、そして考えた事である。

Level (松田自転車工場)で4年ちょっと仕事をしたのち、海外で自転車つくりをすることを決断し最終的にアメリカ、ボストン郊外にあるSeven でスタート(5/2007)することとなった。
Seven に入って最初のポジションはマシーニスト(機械加工)であった。
ジオメトリーの寸法に従いチューブをカットし、ザグりを行いフレーム冶具にセットして確認しウェルダーに渡す、といった仕事の繰り返しであった。毎回異なったジオメトリー、異なる車種なのでカットもザグりも使用されるチューブの種類も当然一台一台異なった。

以前の自分の仕事が建築設計だったこともあり、図面を見て理解することは問題なく、というよりむしろ他のワーカーよりも理解が速かったと思う。(後にウェルダーになってからも図面は必ずすべてチェックしていた。SEVENに入ってから 離れるまでに見てきた数はざっと5000 台ほどになるだろうか。面白いことに、たとえば最初からウェルダーやフィニッシャーとして働いているワーカーたちは、基本的に自分の仕事に必要な部分以外は気にしない。ましてや1台1台ジオメトリーがどう違うとか、どういったチューブが選択されているなど気にもかけないのが普通だった。アメリカらしい完全縦割り分業スタイルであった。)

もう一つ、Seven に入って一日目からつづけていることがあった。それはTig 溶接の練習である。
一通り自転車つくりの過程を学んでいた自分にとって、溶接がいかに重要で最も品質に影響するプロセスであることをすでに知っていたこともあり、Seven では絶対チタン、スティールともにTig 溶接をマスターしたいという1番の目的があったからである。

朝仕事の前に必ず毎日練習をする。当時、他にも溶接に興味をもったワーカーが何人か居り、たまに気が向いたときに練習していたようであったが、その時の練習していたワーカー達はもれなく全員ウェルダーになるまでには至らなかった。
身になる練習とは、たとえ短い時間であっても毎日欠かさずすること、それが修得の近道であるという考えが自分の中にはあったのでとにかく例外なく毎日続けた。(結局、ウェルダーになるまで1日も練習を欠かしたことはなかった。おかげで、過去Seven で練習を積んだ後にウェルダーになったものの中で、最速でウェルダーになれた。)

Seven では、日本で働いていたときと異なりバイクの制作数が圧倒的に多く(しかもすべてオーダー車)目的をしっかり持って仕事に臨めば様々なことが、集中的にかつ密度の濃い状態で学べることを知った。

つづく。。。


June 27, 2014

Seven を離れる日





6月30日(2014)をもって、Seven を離れることとなりました。

それまでの建築設計の仕事止めて、30歳ではじめた自転車のフレームつくりをそのまま日本でやり続ける事に不安を抱き、35歳の時、自らリスクをとって思い切って日本を飛び出し、このSeven にやって来たのが今から約7年前。なんだかんだ言ってこの仕事に10年以上どっぷり浸かってきた。

ここ3年ほどはSeven の中では、仕事の質、スピード共にトップワーカーとして走ってきた。(最後なのであえて言わせてもらいます。) 学べるもの、吸収できるものは何でも吸収してきた。
と、、、気が付けば7年である。 とにかく今は、そんな自分にとりあえず ”お疲れさん” と言いたい。

これまでの経験を積ませてもらった LEVEL と Seven に感謝をすると共に、それら全てがこれからのKUALIS CYCLES のしっかりとした土台となってくれることは間違いないだろう。

November 05, 2013

Builder's life 4


Builder's life 4. 日本の外へ出てみたい。―英語編

Level に入って一年近くになろうとしていた。

仕事にも大分慣れ、ロウ付けについてやチューブのザグリ、仕上げなど徐々にフレームつくりについて理解しはじめたころのことだった。
自分の将来について少し考える余裕が少しでてきた。確かにこの仕事は自分に向いている気がしていた。
Level では競輪のフレーム製作が仕事のほとんどを占めていたが、その他一般のロードフレームやシティー車、障害者のための自転車など幅広く製作している工房であった。こういう工房で働き続けるということも悪くはなかったが、外の世界(日本の外)でやってみたいという気持ちもあった。

どこの国でどんな自転車を作りたい、、、という具体的なものはまだなかったがその気持ちは自分の心の中で少しずつ大きくなってきていたのは確かであった。
かといって、いきなり海外へ飛び出してもただ無謀なだけである。しかし、将来自分が仮に日本を出ていくとしたら、、、その時のために今、自分はなにをすべきか、しておくべきなのか。。。

その答えは単純明快だった、このLevel で学べる事をめいいっぱい集中して会得しておくことであることに間違いはなかった。それと、、、言葉(英語)である。

どこの国にいくにしても英語は世界共通語である。まず英語をもう一度勉強しようと心にきめ、早速NHKラジオの基礎英語1.2.3のテキストを買い、次の日から朝5時半起きで聞き始めた。
(*英語の勉強法はこの本http://homepage1.nifty.com/samito/easy.htmにしたがってやりました。)
このころの自分といえば、英語などとうの昔にどこかにすっ飛んでしまっていた。(実際、Do, Does の使い方も怪しいくらいであった。。。)

しかしながら、近い将来自分は日本の外に出るのだ!と心に決めてからは、そのためにやらなければならない事に集中力がさらに今まで以上に増すようになってきた。おそらく3年ほどの準備期間を要するだろうと考えた。

毎朝5時半起床、ラジオ基礎英語1.2.3を聞き、家を出る時間8時までその日の内容を覚えるまで繰り返し音読し、工房では自転車つくりに集中。夜7時過ぎに仕事を終え、8時頃帰宅。
夕飯の支度(買い物含む)をし、その後グラマーやリスニング、副読本など夜11時半の就寝まで再び英語に時間を当てた。
(*当時、妻は会社の仕事が忙しく、朝7時頃家を出て帰宅は夜10時~11時であった。)
日曜日は一週間分の復習と副読本(最終的に薄い副読本400冊くらいは読んだと思う)、英字新聞などそのほとんどを英語に時間を当てた。
(*土曜日、祝日は仕事だった。)

英語、自転車つくり、夕飯の支度、英語、、、この繰り返し。 

約3年間ほとんど休み無く毎日続けた。。。

つづく。




June 09, 2013

Builder's Life 3



Builder's Life 3-フレーム製作1。ザグリ

フレーム製作を始めるにあたって、まず最初に覚えたのはチューブの線引きとザグリ(チューブ加工)であった。
線引きとはチューブの反りをチェックし、凸側に1本の線を引く(けがく)ことである。その凸側をフレームにした際に上下にくるようにし、フレームの軸を通すために行う工程である。(この線引きをしている工房は恐らく他にはないかもしれない。) TT、ST、DTそれぞれこの線引きを行う。
そしてその線を基準にそれぞれのチューブを図面どうりになるよう加工するわけである。

チューブをカットする際、Level では全て鉄製の長い定規を使用し、目で読み、けがき(しるしをつける)カット、そしてザグリを行っていた。ザグリ終わった後のチューブの長さの狂いの許容範囲は0.3mm(当時)であった。 自分が加工したチューブを社長の松田さんがロウ付けする際に確認の意味で計測する。このとき0.4mm以上の狂いがある場合はザグリなおしをしなければならなかった。
目で計測するという事がどういう事か、どれほど正確なのか。。。

経験すれば自ずと理解できる事であるが、長年の経験によりそれは正確という言葉が相応しいくらい正確に読める。 幸い自分は建築設計で設計図面の製作経験があったので、この目でメモリを正確に読むという事に抵抗はまったく無かった。
例えば435.7mmという寸法があったとする。この際、435mmまではだれでも読める。問題はその後の0.7mmをどう読み取るかである。まず1mmを半分にし0.5mmずつに分ける。そしてさらに半分にわけることで0.25mm単位で読めるわけである。.7mmは435.5mmと436mmの中間やや435.5mmよりという事になる。(分けるといっても全て目で読むのだが)

建築設計の図面上で1mmの間に4本の線を引かなければならないこともしばしばあったが、この経験がこんなところで生きるとは正直思わなかった。おかげで寸法違いによるミスカットはほとんどなかっとように思う。
Level では正確さと言うのが一つの売りであった。(KUALISで正確さを大事にするのはここでの経験によるところが大きい。)

正確に作るということが一体どれほど重要なのだろうか?

こんなことがあった。
ある成績の良い競輪選手のフレームを製作したときのことである。フレームが出来上がりペイントされてシッピングされたのだが、数日の内にそれが送り返されてきた。箱を開けるとフレームと共に1通の手紙が入っていた。 本人曰く、何かがいつもと違います。(この選手はいつもLevelで同じフレームをつくっていた)いつもより窮屈感がどうしてもあります。TT 長がいつもより短くないでしょうか? というのである。早速フレーム冶具にフレームをセットし、全員で計測してみたところ確かに2mm 図面の数値より短かったのである。
競輪選手の多くは使用するパーツ類は大体いつも一緒。ハンドル、ステムは決まった長さ角度でセッティングし、サドルとシートポストも固定されている。要はそれらのパーツをフレームから引っこ抜き、新しいフレームにまた同じようにセットする、、、といった具合である。

2mmの差に気づくのは競輪選手位であろう。彼らは自転車を食べていくための道具として使用する。結果、自分の自転車のフレームに関しては人一倍神経質になる選手もかなり多い。それだけシビアなのである。一般のロードレーサーであればこの差はほぼ気づかない数値ではあるが。

なめてかかってはいけないな、と思った。競輪選手に限らず全てのカスタマーに対して正確に作るという事は最低条件であると感じた。何かが曖昧あるいはいい加減になるとその少しずつのいい加減が積み重なり、最終的に本当に見た目だけで中身はいい加減なものになってしまう。

正確にものを作るということは、カスタマーに対する作る側からの一つの最低限の誠意であるかもしれない。この誠意と言うものが感じられなくなってしまうと、いいものは出来なくなってしまう気がする。

つづく

February 08, 2013

Builder's life 2


Level にて3年目?の時の写真。競輪選手のラグドフレーム(フロントエンド)の仕上げ中。確かS 級の佐藤選手(当時、競輪選手の中でもトップクラスの選手だった。)のフレームだったと思う。特別仕上げ(アップチャージ)でやっていた。(写真奥が私)

Builder's Life 2 (自転車屋の店長?)

入社1日目が訪れた。
さて、一体今日は何をするのだろう、と期待していた。
すると社長の松田さんから、朝開口一番 ”店のほうの店長やってもらうから。” と言われた。
思わず、”ハッ? エッ?”と応えてしまった。。。
Level ではフレームつくりをする工場の隣に一般自転車(主にママチャリ)を扱っている店が隣接していた。詳しく話を聞くと、まず一般自転車の修理を覚え、お客さんについて、売り方について学べということだった。一般自転車には自転車の基本が詰まっているからということだった。

まずは先輩社員のやり方を見学、メモをとりながらパンク修理からタイヤ交換、車輪組み換え、BB のベアリング交換からフォークの修理、差し替えに至るまで2ヶ月ほどかけて一通り覚えた。
それぞれの修理には基本作業時間というのがありその時間以内に出来るようにならなければならなかった。例えばパンク修理なら5分。後輪タイヤ交換20分といった具合である。
(自転車の中には後ろ荷台、カゴあるいは子ども台付き、泥除けといった具合にいろんなものが自転車にくっついているものも多く、最初は1時間くらいかかったこともあったが、最終的にはどんなものでも基本時間以内に収まるようになった)

今となってはこの体験は非常によかったといえる。いわゆる高級自転車というものだけに視点をあて続けるだけでなくこうした一般自転車を扱うことにより、日本のいわゆる一般の人達が考える自転車というものがどういうものでありどういうことなのか、ということがよく理解できるようになった。その上で自分がやっていく事にどう価値をつけていけるかなど考えるための土台となったことは確かである。最終的にはLevel を去るまでに、小さな修理(ベル交換など)を含め約3000台ぐらいは修理した。もうすることはないと思うが。。。

とはいえ、当時の自分には、この一般自転車というものが非常~に嫌いであった(笑)。
なにしろ、フレームつくりを学びたくてLevel に来たわけなのでとにかくフレームつくりに関係する事をやりたかった。 そんなこんなで、自転車修理に慣れてきた頃には、例えば修理をもとめてきたお客さんの自転車を4,5台預かり、フレームつくりの仕事を優先しながら、時間を見つけて1時間程度で集中的に修理を終わらせお客さんに再び渡すといったことをしていた。
どうしてもそのときに修理してほしいというお客さんに対しては仕方が無い(失礼しました)のでその場で、これもまた集中して素早く済ませていた。(早くフレームつくりにもどりたいという気持ちが強かったためです)
あげくの果てには、タイヤ交換を猛スピードで済ませ、”お待たせしました~”と言って(実際はそんなに待たせていないのだが)手渡した際に、あまりのスムーズな手さばきに(笑)お客さんから ”あざやかですね~” と言われる始末だった。。。”ありがとうございます”と応えはするが、特にうれしいわけではなかった(笑)。

肝心のフレームつくりのほうはというと、まず最初の工程であるチューブの線引き(スティールチューブはほとんどが反っているので、その反りのある側にライン(印)を引き、フレームにする際その反りのある側を上か下に向くようにチューブを加工していた。)、ザグリ加工(チューブをフレームの形になるように加工する作業)から覚えていく事となった。

ここからの話は次回へ続く。


December 07, 2012

Builder's life 1


I think I will start to write about my builder's life (in Japan and in US) for the past 10 years. About how I started, what I have seen, learned, thoughts, experiences,,,. As much as possible, honestly. Today is the first story. *I will basically write in Japanese about this series of posts because it will be long. Maybe I will put sammaries in English, sometimes...

フレームつくりの仕事を始めて丸10年になるのを機会に、自分がこの仕事を始めたときまでさかのぼってこれまでの軌跡を、記憶を辿りながら時折書いていきたいと思う。時には人に伝えるには恥ずかしい内容も中にはあるが、全て実際に体験してきた事、その時その時思ったこと、考えていた事などを書いていきたい。この目的は、自分がやってきた事の整理、確認、そして自分について、自転車のフレームつくりについてなどをもう少し突っ込んで知ってもらうことである。今日はその第1回目、Builder's life 1 である。

Builder's life 1. 松田自転車工場(Level)入社

今から13年ほど前にさかのぼる。まだ建築設計の仕事をしていた頃、東京都荒川区に6畳と4畳半の二部屋付きの平屋一軒を大学時代の友人と事務所として借りはじめた。すなわち友人と共同設立という形で独立したわけである。その頃は建築関係の仕事はどん底で、仕事に苦しんでいた。(荒川区の都市区画整理のための家屋調査の仕事や住宅設計の仕事。)

暇なときは建築設計コンペやデザインコンペティションなどに応募したり、勝手に親戚の住宅建替えを計画し、図面製作や、詳細模型を作ったりしていた。(中にはそれを持って実際に話をしに行ったこともある。)終いには、交代で営業しようということになり簡単なパンフレットを何百枚か作りそれらをもって東京23区内の店舗などを片っ端から廻ったこともあった。
当然そんなに簡単に仕事をゲットできるはずはない。分かってはいたがやらずにはいられないという状況だった。
それでも国内のデザインコンペ、国際建築デザインコンペに2度ほど入選したりもした事もあって、それなりに僅かながらの希望も持っていたと思う。
何より設計、そして何か作りたいという気持ちは漠然とあった。それが建築なのかどうかははっきりしていなかった、のかもしれない。
そんなこんなで悶々とした時期が2年ちょっとつづいた。

今から思い返すとどうしてだか理由はわからない。確か桜が咲き始めた、春先の頃だったかと思う。そんな悶々としていた自分の頭のなかに1台のマウンテンバイクが頭に浮かんだ。本当に何故だか分からない。事実そのころの自分といえば自転車には全く興味もなかったし、実際大型バイクに乗っていたので乗り物といえばバイク(オートバイ)しか眼中になかった。
が、なぜかマウンテンバイクが頭の中に。。。
恐らく、当時の自分の頭の中には、何か、、、設計が出来てかつ自分でも作れそうなものはないかといつも考えていたのかもしれない。(それが1台のマウンテンバイクにつながったのかもしれない。)その考えは1台の漠然としたマウンテンバイクを通してさらにイメージは増大し、最終的にはそれ(自転車)を設計、製作するような仕事はないのだろうかというところまで考えが至った。当然そんな仕事があるのかどうかも当時の自分には知る由もなかった。

そのまましばらく自転車が頭の中にくっついたままの状態が続いた。そして、とりあえずマウンテンバイクというもの(?)に乗ってみようかと思い、かみさん共々2台購入することとなった。当時自分が購入したのはScott の何とかエリートというアルミフレームのXCバイクだった。
今から思い返せば、なんて事もないバイクだが、当時の自分にとってはこれがいわゆる ”スポーツバイク” かと少しながらも感動していたと思う。自転車カスタム本など読み漁り、チョコチョコとカスタムしたりもした。
それと平行して、”自転車つくり”なんて事をしている会社はないものかと色々調べ始めた。
そんな中、事務所がある同じ荒川区に松田自転車工場(Level)というその名の通り、自転車を作っている会社を見つけた。確か、日本のハンドメイドショーか何かの記事で見つけたのだと思う。
見つけた瞬間からその後の行動は速かった。早速、自転車つくりをしたいという旨の手紙を綴り、郵送し、1週間程後に電話をした。その電話で是非面接をしたいと逆に言われたのを覚えている。

そして、面接当日。当然のように自転車で松田自転車工場まで向かった。
地図上では住所が京成ラインが走っている線上と重なっておりよく理解できなかったのだが、実際訪れてその意味が理解できた。まさに京成ラインのガード下にLevel はあり、一般用自転車店も工場の隣に併設されていた。
面接では、自転車のフレームつくりとはどんなものか、どういったものを作っているか、どのくらいの精度が求められるものなのかなどなど話を伺い、工場内を案内してもらい、実際の扱っているスティールのチューブや作りかけのフレーム、道具や冶具などを見ているうちに一気に興味が沸いてきたのを今でも覚えている。 
そんなこんなで、その日のうちに就職が決まってしまった。そしてついに自転車のフレームつくりの世界へ入る日が訪れた。

入社第一日目である。年齢は30歳になっていた。

(続く)